丸橋 伴晃 (TOMOAKI MARUBASHI) official website

sketch show

 

2006

art&river bank(田園調布)

 

丸橋伴晃の新作“Sketch Show”は、むせかえるような物語の気配に充ちている。登場する少女たちは、何らかの理由で、何ものかに向かい、そして何ものかに視線を向けている。宙吊りにされた動機、行動、対象は、見る見るうちに泡立って、膨張していく。けれども同時に、見るものは自身の内部に、似通った原光景が眠っていることに思いあたることになる。さきほどまで過剰すぎるまでに膨張し続けていた物語が、今度は特定の心情や、記憶や体験に結びつけられ急速に萎んでいく。しかし、それも長くは続かないだろう。やがて、かすかな光やディテール、シルエットの違和感が、再び物語を特定のものへの係留から静かに解き放つ。再び泡立ち始める物語。丸橋の空間の中で、見るものは過剰な物語によって、溺れにも似た感情を抱くことになるだろう。

もちろん、丸橋の提示する物語は、イメージの中に封じ込められたものだけではない。イメージ全体に漂うロリータコンプレックス傾向は、作家を巻き込んだ違う次元の物語を想起させることになる。作家自身のセクシャリティはもちろん、加えて、トランスジェンダーな雰囲気を身にまとうキャラクターに偏重する日本のアニメーションにも密通していくことにもなるかもしれない。明らかにそこには、描かれたイメージに漂う香りとは対照的な、異常性愛者や性的不能者の臭気がたちこめている。言うまでもないことだが、異常性愛者や性的不能者というのは、特定の個人を指すものではなく、男性たちの内部に確固として場所を占め、巣食っているものを指している。いずれにしても、そのことに対する後ろめたさと絶望が、膨張する物語をさらに複雑に屈折させていくことになる。

丸橋の作品に見られる物語の過剰は、ここ最近顕著になりつつある、物語を復興しようとするささやか試みを連想させる。精神的に窮地に追い込まれた人々の世界を丁寧にたどるエイヤ・リサ・アッティラ、性と文化の死角に細やかな視線を送るカットラグ・アタマン、自身の深奥を夢を通して探るエマニュエル・アンティレ。彼らの物語は、弱々しいものに過ぎないが、だからこそそれ以上譲れない切実さに裏づけられている。大きな物語の再考を促した20世紀末のタブラ・ラサ状態に、弱々しく、けれどもだからこそ力強く再建が試みられる物語。丸橋の泡立つ物語たちも、ぱんぱんそこここで破裂しながら、その可能性を探っているのかもしれない。

杉田 敦(美術評論家)