London, UK October 11,2007 – October 14, 2007
Exhibited at Roentgen werke
2008
101 TOKYO Contemporary Art Fair 2008 プレオープンスペシャルイベント
会場 : 旧練成中学校(現:3331 Arts Chiyoda) 中央階段
2008.4.2 Wed. 17:00- (アートフェアの会期:2008.4.3 – 4.6)
「101 TOKYO Contemporary Art Fair 2008」にて、BOICE PLANNINGディレクションによるパフォーマンス「秋葉原階段 / AKIBA-Q」を行った。
参加者
上野 和也 UENO Kazuya/大和 武司 YAMATO Takeshi/腰塚 綾佳 KOSHIZUKA Ayaka/佐藤 圭佑 SATO Keisuke/北村 友嗣 KITAMURA Tomotsugu/清水 唯子 SHIMIZU Yuiko/川上 桃子 KAWAKAMI Momoko/原武 俊介 HARATAKE Shunsuke/三好 玄也 MIYOSHI Genya/出津 京子 IDETSU Kyoko/古宮 あゆみ FURUMIYA Ayumi/峠 芳樹 TOUGE Yoshiki/笠井 朋彦 KASAI Tomohiko/野口 紘一 NOGUCHI Koichi/平田 悠介 HIRATA Yusuke/宮崎 菜未 MIYAZAKI Nami/巨島 沙映子 KOJIMA Saeko/友清 ちさと TOMOKIYO Chisato/佐々木 倫 SASAKI Osamu/滝沢 典子 TAKIZAWA Noriko/木原 陽子 KIHARA Yoko/伊倉 真理恵 IKURA Marie/テッタ TETTA/小池 文枝 KOIKE Fumie/高谷 一徳 TAKAYA Ittoku/水村 真理子 MIZUMURA Mariko/海藻 拓也 KAISO Takuya/中島 宏子 NAKASHIMA Hiroko/青木 絵里子 AOKI Eriko/今里 淳子 IMAZATO Junko/福本 健一郎 FUKUMOTO Kenichiro/今井 達也 IMAI Tatsuya/安部 史 ABE Hitoshi/松橋 萌 MATSUHASHI Moe/山本 晴菜 YAMAMOTO Haruna/江阪 朋子 ESAKA Tomoko/横須 賀由衣 YOKOSUKA Yui/矢川 健吾 YAGAWA Kengo/栗原 汐里 KURIHARA Shiori
大澤 竜太 OSAWA Ryuta/坂本 夏海 SAKAMOTO Natsumi
撮影 中島 敦 NAKAJIMA Atsushi
出演・構成・記録
BOICE PLANNING
雨宮庸介 Yosuke Amemiya/佐藤純也 Junya Sato/豊田梨津子 Ritsuko Toyoda/丸橋伴晃 Tomoaki Marubashi/山下美幸 Miyuki Yamashita/横手山慎二 Shinji Yokoteyama
2007
赤坂通り商店街街灯フラッグ(赤坂)
赤坂通り沿いの街灯フラッグに、赤坂に住む・もしくは働いている「娘」さんをモデルにした作品を展示した。通りは距離にして900m。約120点にのぼる「赤坂娘の旗」が通りを彩った。
2007
ホテル アグネス アンド アパートメンツ東京 305号室(神楽坂)
アグネスホテルアンドアパートメントで毎年開催されているアート@アグネスで、パフォーマンス「アグネス事変」を、雨宮庸介/佐藤純也/丸橋伴晃/山下美幸のディレクションのもと行った。
ブースとなるゲストルームにバスローブを着た若い男女を30人ほど配置し、ビジターが入場すると、照明などのスイッチングにより、全員が立ち上がり、行為をする–事を会期中繰り返す。ある法則以外はシナリオなどはなく、パフォーマンスと言うよりも“エンドレスインプロビゼーション(終わり無き即興)”と呼ぶべき形式を持った作品を提示した。行為の基本は全員が、ビジターを見つめることから始まる。それはアートフェアーという、ビジターが観て、作品が観られるという構造自体を覆す試みであり、“見つめる”に続く、“見つめた相手から読みとった物語を身振りで示唆し、最終的にビジター本人に返す”という行為により、いささかロマンチックに聞こえるかも知れないが、「魂の交換を試みる」ゲームとして展開した。
2006
art&river bank(田園調布)
丸橋伴晃の新作“Sketch Show”は、むせかえるような物語の気配に充ちている。登場する少女たちは、何らかの理由で、何ものかに向かい、そして何ものかに視線を向けている。宙吊りにされた動機、行動、対象は、見る見るうちに泡立って、膨張していく。けれども同時に、見るものは自身の内部に、似通った原光景が眠っていることに思いあたることになる。さきほどまで過剰すぎるまでに膨張し続けていた物語が、今度は特定の心情や、記憶や体験に結びつけられ急速に萎んでいく。しかし、それも長くは続かないだろう。やがて、かすかな光やディテール、シルエットの違和感が、再び物語を特定のものへの係留から静かに解き放つ。再び泡立ち始める物語。丸橋の空間の中で、見るものは過剰な物語によって、溺れにも似た感情を抱くことになるだろう。
もちろん、丸橋の提示する物語は、イメージの中に封じ込められたものだけではない。イメージ全体に漂うロリータコンプレックス傾向は、作家を巻き込んだ違う次元の物語を想起させることになる。作家自身のセクシャリティはもちろん、加えて、トランスジェンダーな雰囲気を身にまとうキャラクターに偏重する日本のアニメーションにも密通していくことにもなるかもしれない。明らかにそこには、描かれたイメージに漂う香りとは対照的な、異常性愛者や性的不能者の臭気がたちこめている。言うまでもないことだが、異常性愛者や性的不能者というのは、特定の個人を指すものではなく、男性たちの内部に確固として場所を占め、巣食っているものを指している。いずれにしても、そのことに対する後ろめたさと絶望が、膨張する物語をさらに複雑に屈折させていくことになる。
丸橋の作品に見られる物語の過剰は、ここ最近顕著になりつつある、物語を復興しようとするささやか試みを連想させる。精神的に窮地に追い込まれた人々の世界を丁寧にたどるエイヤ・リサ・アッティラ、性と文化の死角に細やかな視線を送るカットラグ・アタマン、自身の深奥を夢を通して探るエマニュエル・アンティレ。彼らの物語は、弱々しいものに過ぎないが、だからこそそれ以上譲れない切実さに裏づけられている。大きな物語の再考を促した20世紀末のタブラ・ラサ状態に、弱々しく、けれどもだからこそ力強く再建が試みられる物語。丸橋の泡立つ物語たちも、ぱんぱんそこここで破裂しながら、その可能性を探っているのかもしれない。
杉田 敦(美術評論家)